
今朝、朝食の後片づけをしている時に、居間のテレビから速報を知らせる音がした。チェックせずにそのまま炊事場で用事をしていたのだが、居間に戻ってニュースが始まったら、Apple のスティーブ・ジョブスが亡くなったとの報。
予期していなかった。病状が芳しくなく療養中というのは知っていたのだが、まさかこんなに早く亡くなるなんて。

今朝、朝食の後片づけをしている時に、居間のテレビから速報を知らせる音がした。チェックせずにそのまま炊事場で用事をしていたのだが、居間に戻ってニュースが始まったら、Apple のスティーブ・ジョブスが亡くなったとの報。
予期していなかった。病状が芳しくなく療養中というのは知っていたのだが、まさかこんなに早く亡くなるなんて。
木曜日からフジテレビで始まったTwitterを取り上げたドラマ【素直になれなくて】。僕も途中まで見たのだが、最期まで見ずに消してしまった。つまり僕には面白く無かった訳だ。そんな僕でも、Twitter上でのそのドラマについての貶し中心のポストには居心地の悪さを感じた。何なんだろうこの気持ちは?
そこで考えてみた。もちろん総ての批判のポストからではないが、貶しのポストから、自分達は Twitter に慣れ親しんでいるし、ポッと出のユーザーじゃないんだぜっていうような特権意識のようなものが垣間見えたのだ。特権意識があるってことは排他的にもなるもんだと思う。だから、なんだかとっても窮屈な感じがする。そういう感覚が僕には嫌だったんだろうと思う。あるいは単純に貶すだけのポスト(発言)が嫌いなだけかもしれない。
僕は異質な物を個性として受入れられなければ、突出した個性なんて育たないだろうと思っている。まあ異質な物と言っても、他人を傷つけたり、生命さえ奪うような異質さは論外である。そうなるとその異質の程度というか、範囲が定まらないかもしれないが、その辺は突っ込まないで頂けたらありがたい。
異質な物を許容する。基本的には人の気持ちの持ち方だろう。確かにそうかもしれない。でも僕は人がそう思うには、社会やシステムの役割も大きいと思う。異質な物を受入れることに社会的インセンティブがあるなら、人の気持ちはそちらに傾くのではないだろうかと思っている。
本日久々に大阪は天王寺というところに出た。新聞紙上等で阿倍野(天王寺のある区)の再開発については知っていたが、確かにちょっと様相が違って感じた。
それはさておき、四天王寺へ向けて商店街を歩いていると【せんべいカフェ】なるものを見つけたのだ。店名は【播磨屋】。なんかガラス張りで店内は結構賑わっており、席は全部埋まってるっぽい。面白そうなので帰りにでも寄ろうと店頭の写真だけ撮った。(それが下記画像)
『日本はもう立ち直れないと思う。』という少々刺激的な書き出しの On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう というエントリ。僕はこれを読んで『そうだろうな』と同意した。そしてそれから数日、このエントリに関して色んなことを考えた。
何をもって『日本はもう立ち直れない』のか、そのことに対しての著者である渡辺千賀さんの記述は無い。そしてネット上で見つけた反論はこの認識に対してのものが多かった。ただし、これこれこうでまだまだ日本の将来には希望があるという反論では無い。だから勝手な解釈かもしれないが、反論をされている方も日本の将来に対しては危惧されていることが多いのかもしれない。