ドラマ【素直になれなくて】の反応について

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木曜日からフジテレビで始まったTwitterを取り上げたドラマ【素直になれなくて】。僕も途中まで見たのだが、最期まで見ずに消してしまった。つまり僕には面白く無かった訳だ。そんな僕でも、Twitter上でのそのドラマについての貶し中心のポストには居心地の悪さを感じた。何なんだろうこの気持ちは?

そこで考えてみた。もちろん総ての批判のポストからではないが、貶しのポストから、自分達は Twitter に慣れ親しんでいるし、ポッと出のユーザーじゃないんだぜっていうような特権意識のようなものが垣間見えたのだ。特権意識があるってことは排他的にもなるもんだと思う。だから、なんだかとっても窮屈な感じがする。そういう感覚が僕には嫌だったんだろうと思う。あるいは単純に貶すだけのポスト(発言)が嫌いなだけかもしれない。

僕は思うのだが、真当な批評をしようと思ったら 140字の Twitter の制限は相当難しいと思う。批評のつもりで記述したつもりが、単に誹謗中傷、貶しているだけということも十分に起こりうる。その点を念頭に置いていた方がみんなが幸せになれるような気がする。長めの記述をするならそれなりの方法が幾らでも用意されている。邪魔くさいなんて言わずに利用しても良いのではないだろうか。

こんなことを考えながら、自分の中で少し纏まって来たことがある。それは僕自身がネットに期待していることが、できるだけフラットな世界観を維持できるようにということだ。それまでならとてもじゃないが壁があると思っていた人達に対しても、より対等に意見が交わせるような状況。もちろんそれはネットが発達する以前から、それこそ気持ちの持ち方次第だったのかもしれない。いや、そうだろう。だとしてもネットがその垣根を低くしてくれたことは事実だと思う。更に Twitter なんてその最たるものだと僕は思っている。

つまり僕自身はそのフラット感を維持したいし、自分自身もそうありたいと思っている。でもネットを利用する人達自身が些細な特権意識を持ったり、排他的になってしまったら、それこそ良いところが台無しになってしまうんじゃないかと思っている。もっともそんなこと思っているのは僕だけだと言われればそれまでだが。

ちょっと視点が変わるが思いついたことをもう一つ。

それは今回のドラマに対して、Twitter をやっている人達が Twitter を愛してる、だから自分達のその気持ちの一端でも共有できる何かが、言葉で、あるいは映像で、物語で表現して貰えるのではと期待もしていたのではないだろうか。ましてや北川悦吏子さんの脚本だし、キャストもいい。しかし多くの方にとってその期待が裏切られた。少なくとも初回の物語からは、多くの方がそれを感じ取れ無かったのだろう。だからこその落胆だったのかもしれない。もっともそれがどんな物なのか僕には判らないが。おそらく多くの方が Twitter に対して曖昧模糊とした物をお持ちなんだろう。だからこそ表現して貰いたかった。そういうことじゃないのかなあ?

僕自身はこの物語に、Twitter について僕が抱いてる感覚を共有したいという気持ちは持っていなかった。いやおそらくどんなドラマにもそんなことを期待しないと思う。だから物語の Twitter に対する表現がどうであろうと、それはその物語を創作した人達の想いとして受け取る。もちろん共感できるところがあれば共感するし、できなければしない。あくまでそれだけだ。

よく意見に上がってくる「Twitter が世間に出会い系サイトだと勘違いされたくない」とか、僕はどうでも良い。自分が使っていて面白いし価値があると思っている以上は世間がどう評価しようと僕は使う。これもそれだけのことだ。だって自由でフラットの世界を標榜しているのに、既存の石頭の意見をありがたく拝聴するって矛盾するでしょ。あっ、でも最初から無視するってことはしないからね。当たり前だけどその都度吟味し咀嚼する。だってネットだけが世界じゃないんだから。

最後に自分の【素直になれなくて】に対して面白いと思えなかった理由なのだが、まず第一に抽象的になるが、リズム感が合わなかった。それでも最終近くまでは見ていたのだが、登場人物がそれぞれに問題を抱え込み過ぎって思った。「それはてんこ盛りに過ぎるやろ」って。あと、なんだか重い雰囲気が嫌だった。あくまで僕の趣味だが、中年のうだつが上がらないオッサンが iPhone 片手にオフ会に出てくるとか、上野樹里さんがそのオッサンの頭をペシペシするとか・・・。まあ要するに Twitter って喜劇タッチの方が面白いんじゃないかなあ?まあちょっと好きなこと言い過ぎかな・・・。

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コメント(2)

僕もほぼ同じような感想を持っていてposterousにupすべく結構な長文を下書きしたんですが、飯野賢治さんのブログを読んでやめたへたれです、ごめんなさい。なるほどこういう見方があるのかぁって。

放送直後のTLは見るにたえなかったですね。なんというか閉鎖的な村社会をTwitterに見たような気がします。RTでこんなのがありました。
「これを観て勘違いしたやつがドッと流れてくるかと思うとうんざり…」
お前は何様やと。ドラマ観てTwitter始めてなにが悪いねんと。勘違いって実際皆さんTwitterきっかけに出会ってるしなぁ。正直こういう反応は気持ち悪い。

そもそもあれはツイッタードラマなんかじゃなくて、男女が出会うきっかけに、ちょっと話題のTwitterを入れてみましたってだけですよね。ドラマそのものに対する批判ならともかくも「そんなこと言わねーよ!」とかいう突っ込みにはもはや唖然です。言うかもしれんがな。

確かに飯野さんがおっしゃるようにTwitterユーザーがニヤリとするようなネタを入れれば味方につけられたのに、ってのは当を得ているとは思います。

ドラマとしてはおっしゃるように登場人物がそれぞれ問題を抱えすぎですよね、重すぎ。上野樹里がいないと救いようのないドラマだと思いました。

posterous断念の憂さをここで晴らさせていただきました。申し訳ございません。

実は、この記事をポストするか逡巡しました。というのも自分もある意味批判しとる訳ですから。

でもね。やっぱりそれは違うだろうと。自分が感じた違和感を表明しないと、後味が悪すぎる。もっともそれは自分の為なんだけど。

しかしネットだTwitterだって言うとるけど、実社会と何処が違うねんと思うわ。その辺が変わらんと、ネットでどんなサービスが出てこようと、世の中変わらんと思う。あっ、別に変わらんでもええと思ってるのかな?

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このページは、keizoが2010年4月19日 17:28に書いたブログ記事です。

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