【殯の森】を観て琴線に触れたこと

第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した【殯の森】、録画してあったのを今日観た。ロードショー前なのに『何で!?』と少々驚きだったけど、まあありがたいことだ。でも、たぶん劇場で物語に集中して観た方が良いと思う。ぼくは集中して観る為に DVD に落とそうかと思っていたが、まあいいかとリビングにて時々一時停止をしながら鑑賞した。

そんなこともあり、当初は物語に集中できなかったからか、何となくテンポが合わないなと思いつつ観ていた。でも見終わったら良い映画だと思う。集中して観ることができなかったにも係わらず、余韻を残してこのような駄文を残しているのがその証拠だろう。

ただ、ぼくの琴線に触れたことはこの映画の直接のテーマではないのかもしれない。でもそれは人それぞれ感じる所も違うだろうし、映画にしろ小説にしろ、はたまた絵画や写真にしろ、だからこそ面白いんじゃないかとも思う。

何が琴線に触れたのか?拙い文章力でそれが表現できるかどうか心もとないけど、なんとか記してみようと思う。

ぼくは人と人が心を通い合せる時、あるいは瞬間でも良い。そんな時間というか状態に感動するようだ。一般的に親子とかごく近しい血縁の関係にはそのような感情が備わっていてごく自然であるといわれている。子供の居ないぼくには、たぶん両親が健在でも、本当に理屈抜きの感情として理解できていないかもしれない。だから想像の域を出ないとしか言いようが無い。

ただそんな血縁以外にも、当然ながら人と人が心を通い合せることはあるわけで、ましてや血縁では無いが故に際立って人間の持てる素晴らしさを感じる。例えば恋人、あるいは夫婦という関係も人によっては如実にその関係性を感覚できるんじゃないだろうか。

でも恋人とか夫婦でも無い、それこそ性別やら育った環境やら年齢やら、そんなこととはかけ離れた関係性の中でも、人と人が心を通い合せることができた時、あるいはそんな関係性を映画なり物語で提示された時、ぼくの琴線はある意味震えるのだ。と言うよりそんな関係性の映画なり物語が好きなんだろうなあと思う。

セントラル・ステーション】なんかは中年のおばさんと子供だし、ぼくの好きな映画【天国の口、終わりの楽園。】なんかにも、そこにはセックスが介在するけれども、やはり人と人が心を通わせた瞬間なり状態が描かれているように思う。

同じ時間を長く共有したら、あるいは環境や経験が近しければ、確かに心の通いあう接点は増えるだろう。でもその人がどう感じ、受け止め、どう考えるかは、やはり人それぞれ微妙に違うんだろうと思う。でも全く接点が無いのにと思われた人との間で、何処か深い所で心の通い合う瞬間とかってのもある筈なんだと信じている。そして人生に於てそういう経験をしたり感じることができるのは、これはやっぱり素晴らしいんじゃないだろうか。

その通い合う心が深い悲しみに満ちたものなのかもしれないし、大いなる喜びに満ちたものかもしれない。でも悲しみでさえ、その悲しみを具体的に言葉で表せない感情であっても分かち合えたりすれば、悲しみを癒してくれるような気さえする。

そんな訳でこの【殯の森】、ぼくには確かにそんな人と人の関係性を表現しているように感じられたのだが。

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