シャッター通りのことを考えた

Echizen

友人を訪ねて福井は越前に行ってきた。天候は曇りベース。時折雨も混ざっていて、海岸線を車で走った時には風も強く、日本海らしい荒波を堪能した。友人の住まいは山あいにあるのだが、それでも車で20〜30分も下れば海岸線だ。それだけ海に面する土地が切立っているということだろう。

今年はほとんど雪らしい雪も無く、村の長老も生まれて初めての経験だとのこと。

過去に訪れた時はいずれも車を利用したのだが、2月という冬場に行くのは初めてのことだった。事前に『今年はもう降らないよ』と聞いてはいても、もし降られた時にはチェーンも持っていないし、実家で車が必要なこともあるだろうと電車で行くことにした。

最寄りの駅は北陸本線の武生駅。駅に降り立つと、平日の昼間とは言え、駅前はかなり閑散としていた。前に来た時はもう少し雑踏らしい雰囲気があったと思ったのだが、今回は行き交う車も疎らという感じだ。友人が車で迎えに来てくれて、街中の商店街らしき所も通ったのだが、シャッターの閉まった店舗も目立つ。

この地方でもお店の類いは市街からは外れた街道沿いに移っていた。大型店やショッピングセンター類、それに外食チェーンなどの店舗。おそらく地元の人からすれば、自家用車で移動することが殆どだろうから、駐車スペースも豊富だし、しかも一所で多くのことが済ませられるというのは便利なんだろうなあと思う。でも勝手なもので、旅先として訪れた人間にとっては、玄関先の駅前が閑散としていると何となくうら寂しさを感じてしまう。

ぼくの友人はこの地に移ってきて5年ぐらいだが、ベースの生活が陶芸であり、また自分で田畑も耕したりしているのだが、たまに市街に出た時には淋しいなあという感情を抱いているようだった。でも豊かな自然に囲まれた生活をエンジョイしているし、海岸沿いの日本海を望む露天風呂の回数券を購入し、銭と代わりに利用しているなどという、ぼくからすれば羨ましい生活もしている。それにたまには京都辺りまで足を伸ばしてコンサートなんかに行ったりしているらしい。

もっとも、自家用車を持ち合わせていない方達や、運転のできない方達にとっては移動の手段が限定されてしまうのは辛いものがあるだろうなあと思う。おそらくここまで車社会になる以前なら、駅前の市街地ももっと賑やかだったろうし、だからこそ、その市街地に向かうバス等の交通機関の本数も多かったりしたのだろう。

でも多くの人が自家用車を持っていて、それが移動の手段となった今、果たして駅前市街地に拘る理由ってなんだろう?駅前市街の商店主にとってはそれこそ死活問題なんだろうけど、この地に住む多くの人は本当のところどうなんだろう?不便になった便利になったという感覚だろうか?あるいは便不便とは関係なく、ちょっと淋しいなあという感覚もあるのだろうか?ひょっとして、味気ないと思っているのはその地で生活していない、今回のぼくのような旅で訪れた人間だけかもしれない。

一つ勝手な想像だが、街道沿いのショッピングセンターや外食店、大型店となると、どうしても全国展開の企業ということが多くなるだろう。当然その地の特殊性だとか個性とかはスポイルされる。便利ではあるが、反面何処かで自分達のアイデンティティーが薄まってしまったという淋しさも付き纏うのではないのだろうか?あるいはかつての駅前商店街は、物やサービスを提供するという商売ではあるが、地域コミュニティーの一躍を担っていて、それが希薄になったことへの淋しさとかもあるような気もする。

そんなことを考えると、駅前市街地が活況を呈し魅力ある地域になるというのは、そこで商売を営む人達だけの問題ではないのかもしれない。だから失礼な言い方、あるいは暴論かもしれないが、時代が変わって商売として成り立たないから店を畳むでは無く、時代の空気に敏感な人間に店舗を任す、譲るということも必要なのではないのだろうか?

もっともその選択をするのはその地に住まう人達であるし、何よりその地の人達がどうしたいというのが一番重要なのだろう。そして変えたいと願うなら地域ぐるみで取り組まなければ効果は薄いだろうし、またある時は行政の支援も必要なのだろう。こうなってくると、行政の側から道筋をつけるというより、住民の側から提案し、想像し、そして行動を起し、かつ住民のエゴさえも説得できるような突出した個人の出現がまず第一歩なのかもしれない。

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