偏ったクルマ好きの一考察

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小さい頃からクルマが好きだった。だったら免許収得以来、運転するのが好きだったり、実際にメカをいじるのが好きなのかと言えば、運転は嫌いじゃないけれど決して上手い方じゃ無い。一時期ヒールアンドトゥーを収得しようなどと真似たことはあるが、それも長続きはしなかったし、メカに関しては、少なくと実際に手をつけるということはほとんど無い。

だったら何をもってクルマ好きなのか?基本になっているのはデザイン。要するに見た目なのだ。

たぶん小学生ぐらいから、新聞チラシの裏や、わら半紙に自分で想像したデザインのクルマを書きなぐったりしていた。プラモデルも専らクルマ専門。成人してからもプラモ作りをしていたし、レンジキットなんかにも手を出していた。雑誌もカーグラフィックとか随分長期に渡って購入していた。

クルマは実際に運転してみないとその評価はできない。それは正論だと思う。それでもデザイン中心に見ちゃうから、これはもう個人の好みとしか言いようが無い。

そんな偏ったクルマ好きが思うことなのだが、どうして日本のメーカーはクルマのネーミングを簡単に捨てちゃうことが増えたんだろう。特にトヨタやニッサンは車種も多いこともあるが、その傾向は顕著じゃないだろうか?トヨタやニッサンで昔ながらに残っているネーミングと言えば、クラウン、カローラ。ニッサンではスカイラインとフェアレディー位じゃないだろうか?

ぼくはこのやり方がどうも嫌いだ。まあ人間の名前だって江戸時代頃までは庶民はともかく、武士階級には幼名があって、元服したら名前が替わったりとかってあるけど、どうも製品、特にクルマに関しては馴染めない。

新しいネーミングを与えて斬新さを出そうということなのだろうけど、なんか折角購入したクルマに愛着が持てなくならないだろうか?時代の要請というか消費者の要望で新しい車格のクルマを発売することもあるだろう。その際、新しいネーミングのクルマを出すことは判る。でも、だからと言って今まで親しまれて来たネーミングを捨て去ることは無いだろうと思うのだ。

あるコンセプトがあって、その上でネーミングが決定したのだと思う。そのコンセプトが最早時代遅れと言うことだろうか?でも核になるコンセプトというのは継続されていく部分が必ずあると思うし、クルマを作り出し販売する側には、そういうこだわりを持って欲しいと思うのだ。ぼくにはその方が『ああ、作り手にも愛情があるんだなあ。』と思えるし、根拠は無いがより信頼感を覚える。あるいは自信を持って世に送り出しているんだなという気概を感じる。

ニッサンがゴーン社長になってリストラ等に成功し蘇ったと言うが、最近また販売量で落ち込んでるとか。もちろんぼくの言っていることがその原因だとは思っていないが、原因の一端くらいは在るんじゃないだろうか?

いや待て。だったらトヨタはどうなんだ。世界で屈指の自動車メーカーに成ったじゃないか!!そうなんだよな。だからぼくの言っていることは戯言かもしれない。でも販売量や製造量が世界屈指、イコール素晴らしい製品とは言えないだろうから、まあ良いか。

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このページは、keizoが2006年11月28日 16:52に書いたブログ記事です。

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