この間友人とのチャットでホワイトカラー・エグゼンプションなる言葉を聞いた。たぶん新聞紙上なりニュースなりには登場していた単語なんだろうとは思うが、ぼくは知らなかった。
概略は、所謂ホワイトカラー労働者に対する労働時間規制を適用免除するという法律案らしい。一定の基準を設けて、週何時間労働だとか、残業は何時間だとかの規制を外すということのようだ。
現実問題として、現状の労働時間規制だって厳密に守られているかというと疑問だし、ぼくもそうだが、就業した経験があっても、大企業あるいは一定規模のある企業でなかったら、そんなこと意識したこともないだろう。だからと言ってそういう規制を法律で定めておくことが無意味かと言うと、決してそうでは無いと思う。何故ならそれは企業側、つまりは雇用主側の行き過ぎや横暴に歯止めをかけると思うからだ。だからこそ日本経団連もその規制を緩やかなものにしたいとの提言をしているのだと思う。
今のところ賛否両論があるようだが、内容が変化する可能性はあるだろうが、おそらくこの法律は国会を通過するんじゃないだろうか?その内容によるだろうが、現状では労働者にとってはかなり不利なような気がする。簡単に言っちゃえば、残業なんて増えると言うか、そもそも残業という言葉自体も無くなるかもしれない。基本は成果主義なんだから、何時間働いているからなんて関係無くなる。『だとしたら成果を成せば一日一時間の就労でも良くなるのか?』企業の就業規則にも因るだろうが、おそらくそんなことは無いと思うがどうだろう。
最近、この件もそうなのだが、例えば企業の税率を下げてくれとの要求や、正規雇用ではなくパートや派遣労働者の多用も含めて、言葉は悪いが、何となく企業側が調子こいているような気がしてならないのだ。
そしてその際に出てくる理由として必ず出てくるのが、【国際競争力維持の為】。現状、そんなに日本企業の国際競争力は低いのか?おそらくその競争相手に新興工業国、特に中国などを想定しているのだと思うが、確かに貨幣価値や物価水準など、一様に追っかけてくる国々の方が低いだろうし、安価に製品を作り出せる。
日本が原料を輸入して製品を世界各国に輸出する。物を製造して多く販売する。そういうビジネスモデルが中心である以上、確かに新興工業国との製造原価などのギャップは死活問題かもしれない。しかしいつまでもそのビジネスモデルを死守するしか日本の生活水準を維持する方法は無いのだろうか?『ないよ。』と簡単に言われてしまうのは何だかとても悔しいと言うか、それで良いのかと思ってしまう。
ましてや、その為に多くの勤労者に負担を強いるなんて、『ちょっとどうなの?』って思ってしまう。しかも多くの製造業の大企業の生産拠点は最早世界中に拡がっている。単純に日本の就労者への支出を減らせば利益を出せるという図式ではないと思うのだが。生産現場での雇用に関しては、最近企業側にもパートや派遣を自社の社員にする方向が出てきているようだが、今度は所謂ホワイトカラーにも効率という名の負担を求めようと言うのだろうか?
企業側だけに問題があるとは思っていない。転換期を迎えている社会に対応する法整備が間に合わないという側面。何より企業者、労働者も含めて、この日本で生活をしている人間の考え方、うっすらと思い描いている根拠の薄い不安感なども根本的な一因かもしれない。しかし大企業にも大きな責任の一端があることは間違いないだろう。良くも悪くもそれだけの影響力があるのだ。
ぼくも過去に自分一人とバイトが一人という極小だが、一応法人格を持つ企業を経営していたことがある。初年度の決算期、僅かだが黒字が出ていた。企業経営とは言え、経営並びに経理のケの字も知らなかったので、地方住民税を合わせて利益の半分近くが税金として徴収されるのを知って愕然とした記憶がある。立場が変われば今と違う考え方をするかもしれない。
でも従業員がぼくを含めて二人という企業と大企業では比較にならない。つまり社会に対する影響力が格段に違う。大企業というのは、文字通り多くの人が係わっている。製品を製造したり販売したりする側の人達も、そしてその製品を購入してくれる消費者も。確かに過度の国による規制なり係わりはいかがなものかと思う。健全な競争が行われることが重要なことだと思う。
しかしここ最近の大企業の姿勢を見ていると、あくまでニュースなりで見聞きする範囲だが、健全な競争を促進する為とは違う、大企業に都合の良い法整備を求めているような気がしてならない。心ある経営者なら今一度足元を見てもらいたい。自分の勤める企業が繁栄しても、多くの従業員、並びにその拠点がある日本に住む人達の生活が良くならなければ、いずれは自分たちに災難が降りかかってくることを。
世界シェアNo1とか、売上No1とかって確かに響きは良い。全然関係ない人間でも、その企業が日本企業なら、日本人として誇り、あるいは優越感に浸ったりする。でもそんなものは結果であって、重要視することじゃ無いんじゃないだろうか。それよりもその企業が存続することで世界の多くの人が幸せを感じる。ましてやその企業の拠点がある日本の人達、地域の人達そして従業員が幸せを感じる企業が素晴らしいんじゃないだろうか。
まだ審議もされていない法律だし、今後内容も変わってくるだろう。だから時期尚早とは思うが、何となく最近の世の中の流れを見ていたら、どうも良い方向に向かっていないような気がして長々と書いてしまった。

コメント (2)
新聞で年収1000万以上の人が対象になるっぽい、という記事を読んだので(労働時間規制の撤廃 『年収1000万円超』)、高額所得者が寸暇を惜しんで働く分には全然問題ないんじゃないかと思っていたんですが、そうでもないみたいですね。年収による線引きも、経済界側は400万円のラインを主張しているんだとか。年収400万円で無制限に残業させられるようになったらたまったもんじゃないですよね。
Wikipediaの説明で驚いたのは、
です。
年収1000万以上で商社や銀行で目をギラギラさせて働く人にとっては、確かに労働時間規制が除外された方が仕事がやりやすくなり効率的だと思うんです。立花隆の『農協』を読んでも思うんですが、創意工夫をこらし攻めの農業をやりたい人がいても、農協が横並びを強いて自分の思うような画期的な農業経営ができない、みたいな。日本社会のこういう出る杭を打つ風潮は本当にクソだと思うので、やる気のある人がわしわし働く分には何にも問題ないと思うんです。
ただそれが企業側の恣意的な解釈でなし崩し的に幅広い層に適用拡大されていくと困りますよね。
投稿者: 森井ゴンザレス | 2006年11月27日 11:33
日時: 2006年11月27日 11:33
森井さんコメントありがとうございます。
どうも最近の傾向として(最近だけじゃないかな?)米国をモデルにしている法律というか仕組みを導入しようとしているような気がします。確かに良い部分もあるでしょう。しかし一つの事象だけを真似しても駄目だと思います。根本的に人々の生活様式なり考え方などが違っていることも多くあるだろうし、ある法律に対して、その法律を施行することで起こり得る不備な面をカバーする必要もあるでしょう。それに米国が総て上手く行っているとも思えないですしね。
欧米だろうとなんだろうと、参考にし学ぶ姿勢は大事だと思いますが、もっと現実に即した法整備が必要なんじゃないだろうかと思います。
もっとも格差が拡がろうが、そんなこと個人の努力の問題だかんね。と言いたいんでしょうかね。確かに個人の努力や姿勢は根本的に大事なんだけど。なんか法律を作る側が安直な気がして仕方がないんですよね。
投稿者: keizo | 2006年11月27日 12:11
日時: 2006年11月27日 12:11