高校での必修科目の履修漏れ、これってどのようにして判ったんだろう?まあ、口コミでいずれは表沙汰になるのだろうけど、いったい何時頃からこのような状態だったのだろう。
ニュース発覚から暫くして、やっぱり補習をするしかないだろう。その様に思っていた。決りとしてその科目は必修としているわけだから、蔑ろにはできない。そう思ったからだ。でもそもそもその決りって文部科学省が決めてることなのかとか、背景が余りにも疎いのでブログのタイトル通り【感じ】として投稿させてもらう。
学校側が率先して行ったことのようで、そうなると学生側はとばっちり、あるいは気の毒と言えるかもしれない。が、おそらく持っている教科書が全然進んでいないぐらいは把握していたんだろうとも思う。まあ学生でも色々だろうから、受験に必要ないならやらなくて良いじゃんって思ったり、そもそもそんなこと気付かなかったという学生もいるだろう。
いずれにしても、大学入学というのを大前提にしてこのようなことになったのだろう。必修科目をまともに履修した学生との間に不公平感が生じるというが、その不公平感も大学入学に対してのことだと思うがどうだろう。
ハッキリ言って今現在の処置のことは何がベストなのか判らない。あちらを立てればこちらが立たずだろう。まあ、今日も新聞紙上で出てきている、補習を軽減するというのが妥当なのかもしれない。
で、ぼくが思ったのは大学受験科目も増やした方が良いんじゃないかと。ただし、全科目すべからく高校履修を前提とした問題では無く、例えば現状、英・国・世界史が受験科目の必修なら、政経や日本史、地理などを含めた社会、数学、そして物理や生物などを含めた理科。つまり必修三科目プラス社会、数学、理科の五科目とする。しかし必修科目以外は中学、場合によっては小学生クラスの極く常識問題で十分。少なくとも大学で勉強しようと言うなら100点取って当り前の問題にする。
これなら全科目高校履修の知識が必要という負担は軽減されるだろうし、かと言って受験科目だけの知識しか無いという矛盾もなくなるだろう。これは高校での必修科目を教えないという問題とは性格を異にするのかもしれない。だから根本的に義務教育を通して、何をどれだけ知識として吸収してもらうか。そのことから考えなければならないのかもしれない。
まあ、ぼくの視点は、大学へ行こうという人達の中にも『そりゃ一般常識だろう』ってことを知らない人達が結構居るような気がしたもので、せめてそれぐらいは知識としてあった上で、より高度な専門教育を受けてもらいたい。そんな気持ちからだ。
おそらく現状での高校の教科の選択の仕方や、教える内容など、変えて行かなければ実現するものではないのかもしれない。でもあれか、いっそのこと、大学は入りやすいけど卒業が難しいとすれば、そもそも高校で大学受験用の小賢しいテクニックを教える必要がなくなるか?
