議員が半分になっても

米国在住の友人から聞いた話なのだが、米国の上院議員は公的秘書が70人ぐらいの議員がざらだというのだ。秘書だったかどうだったかは忘れたが、とにかく国のお金で雇えるということらしい。

日本だと精々4〜5人という所ではないのだろうか?で、彼、彼女らは何をするのかと言うと、地元民のクレームなり相談なりを受け対応するのも重要な仕事の一つらしい。

もう二十数年前になるが、話しを聞いた友人はグリーンカードを習得したばかりで、まだ市民権は持っていなかった。当時、共通の友人が同じくグリーンカード習得の為、米国大使館にてインタビューを受ける目的で帰国していた。どういう理由か判らないが、グリーンカード習得には一端帰国して、大使館にてインタビューを受けるのが手っ取り早いということだったと思う。

ところが、先に習得した友人もそうだが、別の友人も米国入国時には学生ビザだったが、その後学校に行かずにビザも切れたまま放置状態だったのだ。先に習得した友人はニューヨークで働いていたレストランで良くしてもらったようで、当時のビザはいい加減だったと思うが、スンナリとグリーンカードを習得できたのだが、一時帰国の友人はインタビュー時に目を付けられたのか、質問にいい加減に答えてしまったのか、とにかく『あんたにはグリーンカードは挙げられましぇん!!』と一蹴されてしまったのだ。

そんな彼も仕事はしっかりとしていた。知り合いと金を出し合い、西海岸はサンフランシスコ界隈のベイエリアにてレストランを経営していた。もちろん共同経営者の方はグリーンカードは持っている。レストランは相当流行っていたらしく、お金が嫌と言うほど貯まっていったらしい。

さあ大変。共同経営とは言えレストランのオーナーの一人でもある。このままだと面倒なことになる。しかも米国への再入国も観光でも許されないという状況になったらしい。完璧にブラックリストに掲載されたような状態になってしまったわけだ。

そこで当時グリーンカード習得後、西海岸に居を移していた先の友人に事情を説明したらしい。実は彼ら二人で新たに事業を起そうとの計画だったのだ。グリーンカード習得済の友人は、何とかならないかとカリフォルニア選出の上院議員に電話をした。その際、相談を持ちかけた上院議員の秘書が相当頑張ってくれたらしい。上述したように彼はまだ市民権は持っていない。だから当然選挙権も無い。それでも相当親身になってくれたらしい。

ブラックリストに載せられた友人は、その後も当時ぼくが住んでいた東京の一室に居候しながら何度も大使館に通い、また米国の友人とも連絡を取り合ったのだが、結局グリーンカードの習得はできなかった。だから結果的には、上院議員の秘書も親身になってくれたとは言え、力及ばずだったわけだが、それでもそこまで相談に乗ってくれるのかとびっくりはした。

先日そんな思いで話をしながら、たまたま米国の上院議員の秘書の数の話を聞き、あらためてびっくりしたのだ。日本だとどうだろう?実際に地元選出の議員事務所などに電話をしたり相談したことが無いが、秘書の数から言ってもとてもじゃないが対応できないのじゃないだろうか?一応電話は繋がったとしても、物理的に親身になって対応というのはちょっと無理ではないかと思うが、どうだろう?

でも、もし秘書の数が何十人という単位で居たとすると、多少、いや、かなりその状況も変わってくるのじゃないだろうか?電話であろうと、昨今一般的になったウェブやメールであろうと、たった数人の秘書では、話を聞く、読むことぐらいが精一杯ではないだろうか?公的秘書とは別に私設秘書も雇ってはいるだろう。しかしこれは想像だが、対応する人間が少ないと、どうしても関係団体とか地元有力者とかの声が中心になってしまうのではと思う。

ぼくもそうだが、地元選出の国会議員なんて、市井の人間にはアンタッチャブルな存在と思っている節はないだろうか?でも、もしそう思われているならシステムを変えて行くべきだと思う。地元民の話しを如何に吸い上げるかというのはとても大事なことだと思うからだ。思い切って議員の数なんて半分にでもして、尚且つ公的なスタッフを国費を使ってでも増やす方向にできないものだろうか?

当然、下らない自己の利益のみを優先にした相談や提言も増えるだろうと思う。でもそれも含めて、何が地元で起こっていて、そして何が必要なのか?そしてそれは最大公約数になり得ることなのか?地元の人達がどんな幸せを享受したいと思っているのか?できるだけ広範に意見を吸い上げるシステムを作り上げる必要があると思う。

米国が上手く行っているかというと必ずしもそうではないかもしれない。しかし一つの民主主義の方向性として、システムを作り上げていることは事実なのだろうと思う。そもそも民主主義って、効率性から言えば相当非効率な制度なんだろう。一部の人間で決めたことをこれで行く、後は従えと言っている方が簡単に違いない。

あるいは日本のように『お上が決めたことは仕方がねえか。』と思っている人が多数の方が施政的には楽なんだろう。でも、もはやその弊害としての閉塞感も蔓延していると思うし、徐々にでもそれでは満足できないと考える人達が増えつつあると思う。もっとも一方で『邪魔臭いなあ』と思うことも事実だけれど。だったらその邪魔臭さを少しでも緩和できるシステムを構築することは、これは何にも増して重要なことではないのだろうか?

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