1972年のミュンヘンオリンピック開催中、パレスチナ武装組織(黒い九月)が起したテロ事件により、11人のイスラエル選手団が死亡した事件と、その報復として黒い九月に対し、イスラエルが実行した【神の怒り作戦】という史実をもとに作られた映画。この映画では、作戦に係わった“アヴナー(仮名)”という元工作員の実話に基づくものとしているが、イスラエル政府やモサドの元高官などはこの事を否定している。
ただ事件そのものは事実だし、どうやらその後の【神の怒り作戦】というものがあったのも事実のようだ。この辺りの概略はウィキペディアに【ミュンヘンオリンピック事件】として簡潔に纏められている。
ミュンヘンオリンピックでの事件はうっすらと記憶にある。たぶんぼくが高校一年生の時だろう。ただその事件の背景やら細かなことは殆ど知らなかったと思う。精々、イスラエルとパレスチナ、並びに周辺のアラブ諸国とは紛争が絶えないということぐらいだったと思う。
映画自体は面白い(語弊があるかもしれないが)と思う。何ヶ所か、ぼくの感覚では表現方法としてどうなんだろう?と思う場面もあったが、さすがに史実に基づくものだとの意識からか、派手なアクションも極力抑えているようだ。でもかえってそれが恐ろしさと言うか、狂気的な部分を際立たせるのではと思ったのだが、どうだろう?
主人公のアヴナー役の俳優も、モサドの工作員だといかにもマッチョな人物を想像してしまうのだが、かえってこの映画のような人物の方がより現実味を感じるかもしれない。ただアメリカ映画だから当然とは言え、工作員どうしの会話はともかく、イスラエル国内での会話はヘブライ語で通した方が、より現実味を感じるのじゃないだろうか。
この映画を見ていて、今から15年ほど前に、タイのパンガン島で遇ったイスラエルの若者達のことを思いだしていた。彼らの話から、イスラエルでは18歳(だったと思う)に成ったら3年(これも2年だったかもしれない)の兵役が義務づけられていると知った。そしてその兵役が終わると、あるいは兵役の前ということもあったのかな。一年ぐらい世界中を旅して回る若者が多いらしい。そして旅から戻って兵役に就いたり、大学に行ったりするのだそうだ。もっともこれは当時の話で、現在はどうなのかは判らない。
そして一言にイスラエル人と言っても、産まれがイスラエルという人間も居れば、ヨーロッパ各国からの移民も居る。ぼくが出会った内の一人は自身もロシア(当時はソビエトだったか?)からの移民だと言っていた。この映画の中でも、『お前は何処の出身だ?』と言うようなやり取りがあるが、おそらく国民の中でも出身地別で何らかの軋轢もあるのかもしれない。
そのロシア出身の彼は三人の内でリーダー的な感じがした。うろ覚えなのだが彼が年長者で、しかも彼だけが兵役を経験していたと思う。彼の会話の中で、ガザ地区だかに派遣され、パレスチナの年端も行かない少年に対して銃口を向けた経験を淋しそうに語っているのが印象に残っている。
ぼく達が滞在していたパンガン島は、当時ヒッピーの連中が屯していた時代の感覚を色濃く残した安旅行者の為のリゾート地で、各国のバックパッカーが集まってきていた。まあ各国と言っても、一応当時経済的に裕福な国々の連中なんだけど、ただ、皆それなりに平和な感じで、夜ごと遊び回って砂浜に集まり、朝日の昇るのを見つめたりしていた。何て言うか、そんな平和を絵に描いたような状況下で見た彼の切ない表情が、とてつもなく印象に残っているのだ。そう、単に印象に残っているとしか言いようが無い。
これまた映画とは関係無いが、この時、彼らがこの後日本に行くとのことを知らされた。何をしに行くかと言うと、当時日本の都市部の繁華街などで、路上でアクセサリーなどを販売している外国人が結構居たのだが、その外国人の露天商の中心を成していたのが、彼らイスラエル人だったのだ。なんでも身一つで行けば、商売に必要な商品から車など、あらゆる物が準備されていて、いつでも商売に入れる。商売上手、そして望んでいなかったとは言え、世界中に散らばって生きてきたユダヤ人のアイデンティティーの片鱗を見たような気がした。
タイの旅から帰ってしばらくしてから、当時ぼくは東京に住んでいて、実家の大阪に帰省していた。そしてちょうど東京に戻る日、久しぶりに御堂筋を歩いてみるかとソゾロ歩きをしていると、なんと偶然にもパンガン島で出会ったイスラエルの若者の一人と遭遇した。商売中では無く、露店を畳んで商売道具が満載された軽のバンを運転している最中にぼくを見つけて声を掛けてくれたのだ。日本国中を商売をしながらまわるとは言っていたが、まさか実家があるとは言え、普段住んでいない大阪で遭遇するとは、驚き以外の何ものでもない。それから新幹線の乗り場である新大阪駅まで高速道路(環状線)を使って送ってくれた。馴れたもので高速のチケットまでも常備していた。
それ以来、別に連絡を取り合ったわけでも無い。でも当たり前だが、ぼくが接している限りに於ては三人とも気持ちの良い若者だった。そんな彼らが国家としての義務とは言え、兵役に就けば銃口を年端も行かないパレスチナの少年にさえ向けなければならない。最悪、望んでいなくても殺さなければならないかもしれないし、逆に殺されることもある。そんな状況が当時はどうしても想像できなかった。いや、今でも実感として感じることはできていないと思う。所詮、平和な日本で暮らしてきたぼくにとっては無理の無い話しなのかもしれないが・・・。





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