日本人の道徳意識を向上させるには

日本人の道徳意識は低下している。NHKのクローズアップ現代で取り上げられたらしい。ぼくは見ていないのだが、【portal shit!】の森井さんが【日本人の道徳意識は低下している】というタイトルでこの話題を取り上げられてから一つだけ閃いたことがある。ただその閃きに根拠があるわけではないし、こうやって文章にする前から『その閃きは違うだろう』と自分の頭の中で思いが巡っている。だから結論の無い文章になるかもしれない。

日本人の道徳意識は低下している。たぶん公に対しての自分勝手な迷惑行為が増えている。そしてそれが悪いことだと思っていないということなんだろうと思う。そういう面では指摘の通りだとぼくも思う。確かに低下しているとは思うのだが、じゃあ比較する時点は何処に置いているのか?そこで自分の体験を遡ってみた。

ぼくは今年50歳になった。産まれたのは1956年(昭和31年)高度経済成長の道筋ができる頃だ。そこで過去の体験を思い起こしてみると、こと公に対する迷惑行為つまりは公共道徳に関しては、ある部分は現状よりもっと酷かった。そこでウェブを彷徨っていて【余丁町散人(橋本尚幸)の隠居小屋】というサイトで、うん、そう言えばというコメントを見つけたので引用させて貰う。

昔の日本人の公共道徳は、まさに最低だった。地下鉄などの公共交通機関では、車両の扉が開くや否や、乗る乗客が争って中に乗り込む。降りる人はそのおかげで降りることすら出来ない。毎朝のラッシュアワーは、まさに格闘技の場だった。道路では皆われこそはとクラクションを鳴らすので、主要道路ではすさまじい騒音が鳴り響いていた。少年犯罪数は、現代よりもはるかに多く、はるかに凶悪だった。商店街での買い物は、まるで喧嘩。喫茶店の従業員はまるで教育が出来ていなかった。日本はこと「道徳」という点では、まったくの開発途上国だったのである。

この内少年犯罪のことには記憶に無いが、その他の事については確かにそういう面があった。その他にも路上にやたらと痰やら唾を吐き散らすのも今の比じゃなかったし、タバコのポイ捨てなんかもそうだ。引用先の橋本尚幸さんは

昭和60年代(1985年)以降、徐々によくなってようやく「文明国」が出来上がったのだ

とも仰ってる。ぼくの感覚だともう少し前辺りから徐々にという感じがするが、経済成長と歩調を合せるかのように公共道徳らしいものが身に付いていったような感覚は確かにある。

もう一つ余談だがぼくが18歳位の頃(1974年頃)始めて東京に行った時、電車に乗り込むのに整然と列を作っているのに感動した記憶もある。少なくとも大阪では、当時は列を作って電車を待つなんて行為は無かったからこそ感動したのだと思う。もちろん何時の頃からか、大阪でも電車は列を作って待つ物というのが標準になっている。

かように、昔は公共道徳もしっかりと身に付いていたというのは、その昔を何処に置くかにも因るが、一概には断言できないと思う。それでも徐々に公共道徳が身に付いてきたのに、またぞろ悪化してきているという印象はぼくも持っている。じゃあ頂点が何処だったのかと問われると返す言葉も無いのだが、印象ではある面では常識として定着しているけど、ある面では昔は常識だったことが今では崩れ去っているという感じだろうか。

前置きが長くなった。ここから先は全くのぼくの仮説、つまりは閃きなのだが、公共道徳が多少なりとも良くなって行く過程では【これからは生活が良くなるんだという漠然とした夢】が多くの人達に宿っていたのではないだろうか?テレビがお茶の間に来たり、冷蔵庫や洗濯機などの家電がどんどんと生活の中に入って来たり、戦後打ち拉がれていた日本も東京オリンピックなどで世界に存在をアピールできたり。俺達頑張ってるじゃん。これから、きっと、もっと良くなるんだっていう漠然とした夢を持っていた。持てた時代だったんではないだろうか?

翻って現代。どうだろう?漠然とした夢なんて持てないと多くの人が思ってはいないだろうか?外貨を稼いでいた製造業は多くの部分が中国に移転しつつあるし、グローバル化って言われてもなあ・・・等々、これから我々の暮らしはどうなるんだろう?今度は漠然とした夢の替わりに漠然とした不安が多くの人に蔓延してはいないだろうか?

厭世的と言うか刹那的と言うか。自分は公の一部でもあるということを端から考える余裕も自ら放棄してしまっている人達が増えてはいないだろうか?その考えが無ければ公共道徳なんて育たないような気もする。

だったらどうしたら良いのか?施策は多くのことに渡るのかもしれない。しかし悪戯に漠然とした不安を持つのを止める。多くの個々人がちょっとづつでもそういう思考回路に傾いて行けば、いずれ良い方向に方向転換すると思うのだが。そして過去の高度経済成長期、個々人がそれぞれに夢を持っていた部分もあるかとは思うが、多分に仕組まれたと言うのは言い過ぎかと思うが、どちらかと言うとステレオタイプな、なんとなく皆が言うから的な夢では無かっただろうか?

何が言いたいかと言うと、最早日本も個々人が自分の生活パターンや嗜好、並びに思考に根ざした自分なりの夢を自分で育てる時代なんだろうと思う。はてさて、そういう考え方に日本人は馴れているだろうか?それは思った以上に困難と努力が、そしてある意味覚悟が必要だろう。思った通りに事が運ばないことの方が多いに違いない。でもきっと悪戯に不安感だけを持ち、厭世的ならびに刹那的に生きるよりぼくは楽しいと思うのだが。

もちろんそこには自分は公の一部であるということは常に付き纏うだろう。根拠は無いが、その人の夢が実現するとしたら、そこには必ず自分以外の誰かが何らかの助けを与えてくれているものだと確信する。当初はそんなことを考えていなくても、成就するに従ってそのことに気付く筈だ。おそらくそのことを蔑ろにすれば、それこそ見えざる手によって、また一からやり直しと宣言されると思う。

なんか説教臭くなったし、自分のことを棚に上げての感が多いにあるのだが、今回のぼくの仮説の結論は、風が吹けば桶屋が儲かる的論法で、日本人の道徳意識を向上させるには【夢を持とう】そして【夢が持てる社会の仕組みを造ろう】そんなことだろうか。

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コメント (2)

森井ゴンザレス:

 ほー、なるほど。そういうわけだったのですか。少なくとも公共道徳に関してはかつてより今日の方が優れているわけですね。高度経済成長期を生きていなかった身にはとても新鮮な事実です。

 余丁町散人氏のブログの当該記事、拝見しました。このお方はちょっと極端すぎるというか、地方は馬鹿しか住んでないみたいな書き方をするからむかし拙ブログで悪口を書いたことがあったのですが、確かに散人氏のような観点からNHKの主張に批判を加える必要もありますね。

 みんなが夢を持つためには結局、年金不安や財政再建といった個別の具体的案件に取り組むしかなさそうですね。

 具体的な施策となると、それこそ山ほどあるに違いありません。でも一つだけ言えるのは、最早お上にお任せの姿勢は限界に来ている。そう思います。だったら全部民間でやれ。そういうことではありません。彼らに委託しているんだというか、検証も選択も自分たちがしているという意識。そういうことが根本的に大事なことだと思います。その検証の手助けをするのがマスコミの重要な役目でもあると思うのですが、残念ながらどんどんそんな役目からは遠ざかっているように思います。

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