相手の話をじっくりと聞くというのは

相手の話をじっくりとよく聞く。それは自分の意見をしっかりとわかり安く述べることと同じくらい、いや、それよりも大事なことなのかもしれない。そんなものに順番の付けようが無いのかもしれないが、ぼくは何となくそんな風に思っている。

もっとも思っているからと言って、自分にそれができているかと言うと、これが恥ずかしい話しまずできていない。

そういう姿勢で居ようとは思うのだが、たとえばじっくりと聞いて行くと、途中でどうしても反応したくなることがあるし、何とか区切りの良い所まで聞いたと思ったら、自分の感じたこと考えたことを忘れてしまったり、酷い時には結局相手の論点は何だったのだろうか?と思うこともしばしば。多分、相手の話を聞いているようで、頭の中では自分の意見を整理しているのだろうと思う。

そんなのはお前だけだと言われればそれまでなのだが、例に取るのが適当では無いにしても、テレビの討論番組なんぞを見ていると、あながちぼくだけの特性では無いような気もする。事程左様に人は自分の意見を表明することに一種快感を感じるものなのかも知れない。

誤解無きように言い訳をしておくが、ぼくは自分の意見を表明することは悪い事などとは思っていない。ただ、それに反して相手の話を巧く聞く事のできる能力を持ち合わせた人がなかなか居ないものだなと思っているだけだ。

ぼくの母はアルツハイマー性の認知症だと診断されている。診断されてから二年あまり、残念ながら症状は徐々に悪くなっている。最近、自分で仕舞っておいた財布の在処を忘れてしまって大騒ぎすることが増えてきた。なるべくぼくが預かろうとはしているのだが、それはそれでプライドを傷つけるのだろう。なかなか思うようには行かない。しかも悪い事に財布をぼくなり父が隠したと言い出すことも度々だ。

話しが飛んだように思うが、ここでもぼくは自分の意見を理路整然と述べようとする。『財布は目に付く一所に置いておけ』とかそのようなことだ。しかしそんな理屈はもはや母には通じないのだ。言い訳が始まったり、先にも述べたようにぼくや父が意地悪をしているとか、話しが飛んで幼い頃に苛められた話しとか、それこそ脈略が無く始まる。

当然、相手は病気だと判ってはいる。(アルツハイマーの特性として被害妄想を強く持つ患者も居る)しかし、やはりぼく自身が感情に流されてしまうのだ。どうしても黙って母の話を聞いてやるという態度には成れない。

でも、母の良くなかった事を幾ら理路整然と述べた所で事態は良い方向には向かわない。ましてや母の話(愚痴かもしれないが)の途中で、こちらが感情的に意見を言ったら事態は悪くなる一方だ。これは経験則として、今の所ほぼ間違いは無いと思う。

母の様にアルツハイマー性の認知症を患っている相手と、そうでは無い相手とは一緒にできないだろうとお思いだろうか?確かに母の場合は特殊かもしれないが、あながちそうでは無いのではと最近思うようになって来たのだ。要するに自分では【相手の話をじっくりとよく聞く】ことが大事だと思いつつも、実際にはその能力も備わっていないし、又、備えようともして来なかったのではということだ。

正直、母と相対していて『しんどいな。』とは思う。しかし、これはぼくに相手の話をじっくりと聞くという姿勢、能力を磨きなさいという天の声かもしれないなんて思ってもいる。

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