どうしてサッカーの日本代表を応援するのか?
サッカーというスポーツが観ていて面白い。その通り。でなければ幾ら日本代表と言えども興味は半減するだろうと思う。それはごく基本的なことなのだが、その他に、ぼくはJリーグの発展が日本の自立した地方自治の発展の一助になると信じているし、また期待をしているのだ。
だからこそ、ワールドカップで日本チームが活躍し、普段サッカー(Jリーグ)に興味の無い人達が興味を持ってもらえれば、更にJリーグが発展するのではと思っている。
Jリーグの発展が日本の自立した地方自治の発展の一助になる根拠は何だと言われると、【おらが街】のチームと思えるように、チーム名が地域名をメインにしているというのが一番大きい。なんだそれだけ?と言われればそれだけなのだが。
ぼくは、交通が発達し何時間か掛ければ海外にだって行ける時代になっても、人間が落ち着いて行動できる範囲って意外と狭いものではないかと思っている。いくら行動的な人でも、基盤と言うのかな、そういうものがあるように思う。それに生活に係わること、例えばゴミ出しや水道や、諸々の多くが地方行政単位になってもいる。
別に行政単位を意識しなくても、生活単位での社会との係わりということに思いを馳せれば、家族が居て隣近所が居て、普段自分が生活している地域があるはずだ。もっともぼくの感覚だと、おそらく戦後からずっと、生活の基盤は自分が所属する会社とか組織というものに重きを置いていたのではないだろうか。そういう時期も必要だったんだろうと思う。だって、生活をより豊かにするにはお金を稼がなければならなかったし、その為には多くの人達が糧を得ている会社だとか組織というものが重要視されても不思議はない。
それはそれで全く意味が無かったというつもりは無いが、そのことがもたらした弊害というものもあると思う。突拍子もないかもしれないが、民主主義の基本というものが育たなかったのではないだろうか。基盤を会社とか組織では無く、生活している地域というものに持ってくれば、それこそ、会社や組織の比ではなく、色んな人達が居る。そんな色んな人達と折り合いをつけて、より楽しく生活をしようとすると、そりゃ、なかなか大変な作業だと思う。でも、その大変なことこそが民主主義の基本ではないかと思うのだ。
どうしても、自分が所属する会社だとか組織だとかに傾倒しすぎると、どうも考えが歪になるような気がしてならない。まあ、昨今なら業種によっては『俺はグローバルを相手にしてるんだ。』と思いたくもなるだろう。いや、それも必要なんですよ。でもね。やっぱり足下を見直す、いや見つめるのもかなり意味のあることだと思う。まあ無難な言い方をするとバランスが大事だと思う。
まあ自分も地域に溶け込んだり、地域の中でバリバリ活動しているかと言うと、全然違うんだけど。少なくともそういう視点というのは、これから益々大事になってくるんじゃないだろうか。そんな風に思っているのだ。そういう視点で物事を見ていけば、色々面倒なこともあるのだろうけど、きっと一歩ずつ、社会の中での自分にとって良い生活ってのもより具体化してくるのではないだろうか。そしてそれは、多くの人が楽しく暮らせる社会への出発点になるかもしれない。
とまあ、ちょっと理屈っぽいことを考えているんだけど、【おらが街】を意識させてくれるJリーグの存在って、こりゃなかなか大きなもんじゃないかと思うのだ。Jリーグが出てくるまではスポーツのチームに地域名が冠されることなんて馴染んでなかったでしょ。
ぼくはJリーグ発足時に、川淵さんが当時の読売ヴェルディーに読売の名前を付けることを承諾しなかった時、こいつは本気だと思った。だって当時の読売ヴェルディーって、それまでの日本のリーグを引っ張ってきていた存在だった。そういう意味では力もあっただろうに、それを突っぱねた。それだけ、最早企業の広告塔としてスポーツチームを存続させることには意味が無い。少なくとも、そのスポーツを楽しむファンやサポーターにとって、大きな広がりを持たないだろうとの思いがあったに違いない。そしてぼくもそう思っている。
まだまだJリーグも道半ばだと思う。正直言ってテレビ観戦していても、思わずうたた寝してしまう試合もままある。でもね、代表の試合よりも面白いじゃんって試合ももちろんある。それがいつ観ても面白いじゃんと思えるように頑張ってもらいたい。それには代表に選ばれた選手は、世界のレベルを実戦を通して感じて、それをJリーグに持ち帰り、更にJリーグを面白くして欲しい。そしてワールドカップを通してサッカーに興味を持った人達を、Jリーグも面白いんじゃないかと思わせて欲しい。それには、それこそ必死こいてワールドカップを戦って欲しいのだ。
