インディヴィジュアル・プロジェクション

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しばらく振りに小説を読んだ。阿部和重の【インディヴィジュアル・プロジェクション】。それ程長編ではないが、1/3程読んで間が空いてしまっていたのだが、昨日、残りを一気に読んだ。

面白いかと問われると面白いと答えるだろう。

物語は主人公でオヌマという男が、映画の専門学校時代にドキュメンタリーを撮る目的で接触したスパイ養成塾のような所に係わることで展開する。ハードボイルドでもあり、読み進めていくと顛末はどうなるのだろうという興味も引く。

しかし、読んでいる途中に、自分の中に染み込む度合いが少ないとも感じた。それがどういうことなのか?今の僕の語彙と表現力では言い表せない。もどかしいけど・・・。でも最後に近くなるに従って、事の顛末はこうだったで終わらない何かが横たわっている。いや、少なくとも僕には何かを喚起させる。その辺が何なのか?こいつも、もう一つハッキリとイメージされない。あれっ、何かモヤッとするなというか、引っかかるというか、そんな感じなのだ。もっとも、読む小説すべてが『あっ、これだ!!』と、例え自分自身の中だけでも合点が行くことの方が少ないけれども。

巻末の東浩紀という人の解説を読んで、なるほどそうですかという気もするのだが、それでもまだ『うーん』が残ってしまう。ただ、だからこそなのか?読み終えた後、もう一度読みたいと言うより、もう一度読んだ方が良いんじゃないかというような変な気持ちにもなった。

そんな物語のコアな部分(たぶん・・・)とは別に、どういうわけだか、この小説で世代というようなものを意識した。僕は世代間の違いを殊更に言うのは好きでは無い。どんな世代にも当たり前だが悪い人は居るし良い人は居る。また好ましい人も居るし好ましくない人もいる。しかし、そのような意味合いでは無く、確実にある一定の時代の空気というものは存在するんだなと思ったのだ。この小説を読んでいて、まさしくこの作家、阿部和重が多感な時を過ごしてきた時代の空気というような物が瑞々しく表現されているように思ったのだ。

たとえば渋谷界隈でのチーマーと呼ばれた若者の感覚の一端のようなもの。具体的にどうこうよりも、空気感という感じのものだ。今、文庫本の裏表紙の折り込みにある作家の歳を確認したら今年38歳。あれっ、結構なお歳だね。チーマーという言葉が使われ出したのはそんな前だったっけ?でもまあ、チーマーの世代かどうかはともかく、明らかに彼、阿部和重の個性だけではない、彼らの時代の空気感というものをこの物語から感じたんだけど。

こんな空気感や匂いのようなものは、作家でなくても書き手によって漂うものなんだろうか?漂うものなんだろうけど、何と言うか、こうフワッと俯瞰的に嫌味無く漂わせるのは、この阿部和重、やはり中々の書き手ではないだろうか。

インディヴィジュアル・プロジェクションインディヴィジュアル・プロジェクション
阿部 和重


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このページは、keizoが2006年5月18日 17:18に書いたブログ記事です。

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