既存マスコミへの懐疑とネット

昨今、新聞やテレビ、いわゆる既存のマスメディアの報道に対して、懐疑心を抱いている人が増えている。少なくともネットを彷徨しているとそのように感じる。かく言う自分もその一人なんだけど、だったらネットの情報は信頼に足るかと言われれば、そんなことは勿論無い。

要するに僕の場合、その情報が信頼に足るかどうかとは別に、ネットの情報に触れている方が面白い。そういうことだ。

だったら何が面白いのか?

元々、人にはその人の経験やら境遇やらによって、様々な、あるいは微妙にニュアンスの違う、想いなり、考えで満ちあふれているものだろう。だから色んな人と知り合って、色んな話しを交わし、自分以外の人の想いやら考えに触れたりすることが楽しいのだと思う。もちろんそれが面倒だったり、実際には鼻持ちならない人との会話は遠慮したいということもあるけれど・・・。

しかし実際の対話では、色んな話しをするまでには概ね時間が掛かるし、そしてその数にも限りがある。それ故、書物を読んだり、それこそメディアから情報として受け取って、自分以外の人の考えや意見として捉えて来たのだろう。

でも考えてみたら、新聞にしろテレビにしろ、扱う枠というものにはどうしても限りがある。新聞は朝夕刊の紙面の中という枠があるし、テレビにも放送時間内という枠がある。当然のように、良く言えば情報は整理されるし、淘汰もされる。

だから市井の人達の想いやら考えは断片的にならざるを得ない。新聞の紙面には読者投稿の欄もあるけれど、それも紙面を賑わせた記事に対する意見というのが中心となる。ネットと較べると、決定的に情報量が少ないのだ。確かに世間一般的には関心のある情報ではないかもしれないが、その情報が欲しいと思っている人にとっては物足らないに違いない。

それに如何せん一過性に過ぎるきらいがある。過去の情報に関しては、どうしても直ぐに探しだして手元にとはいかない。この件に関しては、この先ネットと融合することにより、過去の情報にアクセスすることができるのかもしれないが、果たして無料で得られるかどうかは疑問である。

しかしネットには、時には朴訥ながらも生々しい想いなり考えが溢れている。事実かどうかは別にしても、少なくとも著者の考え方の一端、感じには触れられる。そこには編集も無く、悪く言えば雑多。そして、いくら一所で事は済むと言っても、目当ての、あるいは興味を引く情報に当たるまでは、検索なりにそれなりの労苦を要する。

だけど、ライブ感とでも言えば良いだろうか、瑞々しさを感じるのは、ネットでの市井の人達から発せられた情報からなのだ。これはあくまで僕の感じだけれど。

おそらくテレビにはテレビの、新聞には新聞の得意とする所があるのだろう。それに何だかんだ言っても、ネット上で既存メディアへの批判なり懐疑が語られている内は、否定的な対象とは言え、まだ皆が関心を持っている証拠だろう。でもどうなんだろう。これが話題にも載らなくなったら。

そんな時が来るのか?当のメディアの人達がそんなことはあり得ないと思っているかもしれない。直ぐに無くなるなんてあり得ないと僕も思う。だけど、いつまでも従来の方法で大丈夫と高を括って居られるほど盤石だとは思えない。どうなったらという具体例を持ち合わせてはいないけれど、メディアの人達が真剣に考えを巡らせ、行動、形として表わす時期なのだろうと思う。

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