ちょっと旬を外してます。05年12月1日付けの ashi.com 配信の記事『村上春樹「海辺のカフカ」 NYタイムズ今年の10冊に』とのこと。記事の一部を引用すると、
米紙ニューヨーク・タイムズの1日付電子版によると、同紙が選ぶ「05年のベストブック10冊」に、村上春樹氏の長編「海辺のカフカ」(新潮社)の英語版「Kafka on the Shore」が選ばれた。
一番好きな作家が村上春樹さんである僕にとっては嬉しい限りです。何がそんなにって、やっぱなんじゃかんじゃ言っても英語を読み書きする人は世界的には多いわけだから、好きな作家の作品に何らかの共感を持てる人達が増えるのは良いことではないかと。
もっとも村上春樹さんの作品は英語だけではなく、韓国語や中国語そしてロシア語、フランス語、ドイツ語等々でも翻訳本が出ています。(詳しく紹介されている【刑部のページ Let's 村上春樹 ing】というサイトがあります。)
しかし何故村上春樹さんの作品が海外でもこんなに人気があるのか?そのことをズッと考えていました。おそらく最初の翻訳本は米国で、だから英語だったと思います。彼自身が米国の小説が好きで、翻訳までされているのは良くご存じでしょう。かの有名な『ライ麦畑でつかまえて』も村上春樹さんの翻訳で2003年に刊行されています。
だからそれなりに、いや結構なのかな、米国での出版に対しては努力というか力も入れられている。そういう側面もあるのかななんて考えてはみたのですが、だったら韓国や中国ではどうなんだって思いますよね。いや、それらの国々に於いても力を入れられていたのかもしれませんが、ごめんなさい、その辺の情報は持ち合わせていません。
これはやっぱり、僕が彼の物語が好きな理由である、人間、誰しもが持ち合わせている不条理とか、暴力性とか親和性などの深層心理を掘り起こし、物語の中に反映しているからではないか。その表現の仕方が巧みであったり、また共感性をもたらしたり、時には深く自問させてくれたりするからではないのだろうか。そしてだからこそ、多少の文化の差に関係なく、広く受け入れられているのではないだろうかなどと考えたんです。
でも、いくら僕が村上春樹さんが好きだからと言っても、日本の作家の中にも数多くそのような取り組みというか、内容の物語を書かれている方はいらっしゃいます。実際、よしもとばななさんなんかも海外では結構親しまれていると聞いたことがあります。結局、ここまで考えて、これぞっていう理由が解んないんですよね。
ちょっと話しが逸れますが、11月一杯まで【ほぼ日刊イトイ新聞】にて宮崎駿さんのインタヴューが配信されていました。その中で、インタヴュアーが『どうしてジブリの作品はヨーロッパで評価されていると思われますか?』という質問をしたのですが、宮崎駿さんはちょっと怪訝な顔をされて『僕たちは欧米からかなりの文化なり思想なりを受け入れている。それを考えると不思議じゃない。』と言うような主旨のことを仰ったんですね。そうなんですよね。おそらく明治以降、そして特に戦後、資本主義にしても文化にしても多くのことを欧米から取り入れてきました。下手をしたら逆に日本古来のことの方を知らなかったりするくらいです。
うん?ひょっとしてこれは日本だけのことではないだろう。そんな風に思ったんです。それは韓国でも中国でも同じことが言えるのではないだろうか。いや、事はアジア圏対欧米圏という対立の図式では無く、経済のグローバル化による都市化が世界各地で進んでいるということでもあるのではないかと。
村上春樹さんの物語は、おそらく都市化というグローバル性を持った読者達に何らかの共感性を持たれるのではないだろうか。そんな仮説が僕の中に生まれて来たのです。都市化の中から生まれてきた歪みだったり、逆にこうありたいという想いだったり。そんな心のヒダが表現されているからこそ共感を得るのでは。
僕自身、村上春樹さんの物語からは、そのシチュエーションに係わらず、都会的と言うか現代的な何かを強く感じるのですよね。それは田舎と対立する都会では無く、田舎をも含んだ都会。
たぶん多少の文化的背景の違いはあれ、グローバル化と言うのは経済だけではなく、人間の想いにも当然の如く及んでいるのかもしれません。そしてそれは良きにつれ悪しきにつれ、起こるべきして起こることではないのでしょうか。
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